日本で最初に放送が開始されたのは、1925年(大正14年)3月22日午前9時30分に、社団法人東京放送局(JOAK/現在のNHK東京放送局:略称AK)が東京・芝浦の東京高等工芸学校(千葉大学工学部の前身)内に設けた仮送信所から発したラジオ放送です。
第一声は、京田武男アナウンサーの言葉で、「アーアーアー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します」だったそうです。大正15年の暮れには、天皇陛下のご容態を連日報道し、すっかり市民権を得たそうです。同年12月25日の天皇陛下の崩御を伝えたのもラジオ放送であり、昭和の幕開けをラジオが告げたのでした。
昭和に入ると、3局だったラジオ放送局は、1926年に「社団法人日本放送協会」として統合されました。娯楽の主役となったラジオでしたが、戦局の進行とともにプロパガンダ的な番組が多くなり、日本の敗色が濃厚となった昭和20年には空襲警報などの情報を知らせていたそうです。
一方、戦後から1950年代にかけて、「社団法人日本放送協会」が公共企業体としての「特殊法人日本放送協会」に改組されました。1953年(昭和28年)には、日本でテレビ放送が開始されました。銭湯の入浴料が15円だったころに、テレビの価格は30万円前後だったようです。とても一般市民には購入できず、街頭テレビや飲食店などのテレビを見て楽しんでいたようです。
しかしながら、59年4月10日の皇太子ご成婚をきっかけに、テレビの普及が加速し始めました。日本放送協会(NHK)のテレビ受信契約数が200万件に達し、62年3月には1000万件を突破したようです。そして、64年の東京オリンピックがテレビ普及の総仕上げの役割を果たしました。60年代後半にはカラーテレビ化が進み、70年代からはFM放送が開始され、娯楽の中心はテレビへと移り変わって行きました。
70年代後半から80年代初めに渡って、日本テレビが全国初のテレソン・24時間テレビを放映しました。82年6月に放送法が改正され、同年12月からテレビジョン多重放送が日本の放送に加わりました。
88年には高校野球とソウルオリンピックにて初のハイビジョン生中継が実施され、翌年にはクリアビジョン放送が開始されました。さらに、1989年(平成元年)6月1日にはNHKが衛星放送BS1、BS2の本放送を開始し、視聴の幅が増えました。
日本でのデジタル放送の草分けは、1996年9月から開始したPerfecTV(現在のSky PerfecTV !)ということになっています。これまではケービルテレビでしか見ることができなかったジャンル別専門放送をチューナーとアンテナを使って受信し、チャンネル数についても従来の30チャンネル前後から、テレビとラジオを合わせて300チャンネルの視聴ができるようになりました。
2004年になると、アンテナを設置することができない集合住宅に対して、スカパーなどの電波を光信号に変換して光ケーブルで伝送する「光PerfecTV!」が正式にサービス化されました。その後、2006年4月には、携帯端末向け地上デジタル放送「ワンセグ」が全国29都府県で本放送開始されました。
そして、いよいよ、2011年7月には、地上デジタルテレビジョン放送に一本化されます。1953年に始まった地上のテレビジョン放送を、UHFチャンネルを使ったデジタル放送に置き換えるのです。映像や音質のクオリティの向上だけではなく、生活そのものを豊かに変えていくことでしょう。